■百済寺と百済寺郷五ヶ村
聖徳太子創建と伝わる百済寺は、中世、「東の叡山」とも称されるほど隆盛を極めました。その繁栄の一端を支えたのが、百済寺郷といわれる大萩・上山本・下山本・北古屋・北坂本の五ヶ村です。明治から平成までは、百済寺甲・乙・丙・丁・戊と呼ばれていた村々です。五ヶ村とも、東西7㎞南北3㎞におよぶ広大な百済寺寺領内に集落があります。
1回目の「上山本村・下山本村」2回目「北古屋村」3回目「北坂本村」に続き、今回は大萩村です。
百済寺とともにあった百済寺郷の人々の暮らしや歴史を紹介します。
大萩村は鈴鹿山中にある山村で、信長焼き討ちのときには、御本尊避難の地となりました。しかし、昭和47年の台風被害を契機に集団移住が決まり、住時の面影はありません。今は苔むした石垣などが、歴史の一端を偲ばせてくれます。
土石流の傷跡と、かつてあった山村生活、そこに生きた人々に、思いを馳せます。
野瀬 隆行さん(元百済寺甲町住民)山本 一博さん(元東近江市市史編纂室長)
野瀬さん:東近江市百済寺甲町に生まれる。幼少の頃から豊かな自然に恵まれた環境で過ごす。昭和47年、台風による集中豪雨で被災し、現在の大萩町に集団で移住する。現役の頃は、小学校で子どもたちを教える。現在も生まれ育った地に愛着を持つ。
山本さん:東近江市百済寺町に生まれる。幼いころから聖徳太子創建、織田信長焼き討ちの百済寺の歴史を聞き、歴史に興味を持つ。長年、能登川町・東近江市教委で埋蔵文化財保護・博物館運営に従事。現在は気ままに地域の歴史を紐解く日々。
日 程/令和4年4月10日(日)
所要時間/約3時間(ガイド時間は約2時間30分)
集合時間/12:50
解散時間/16:00頃
愛東コミュニティセンターー(バスで移動)ーさくら公園(旧大萩村)ー被災後建設された砂防堤防ー氏神さま白髭神社跡ー大萩分校運動場跡ー被災後設置された福祉施設「大萩茗荷村」ー百済寺西ケ峯不動堂跡の遠望ーかつての存在を示す「大萩集落の碑」ー臨済宗永源寺派大慈寺跡ー愛東北小・愛東中大萩分校跡ー最後の住民辻仁一邸一今では珍しい道が川を渡る「洗い越し」ー大萩集落跡の遠望ーさくら公園(旧大萩村)ー(バスで移動)ー愛東コミュニティセンター(解散)【徒歩の距離:約3.3km】 【高低差:約50m】
お一人様/6,500円(最少催人員7名※3月下旬に決定)
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