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惟喬親王伝承と山の文化

 

 

文徳天皇の第一皇子として生まれながら、藤原家の血筋ではなかったため、皇位に就けなかった惟高親王。
悲運の皇子は、東近江市の東部山間地小椋谷で、隠棲されたというのが、惟高親王伝承です。
市内でも愛知川流域から奥永源寺にかけての地域に、惟高親王伝承が集中して残っています。
これらの伝承も含め、山里の暮らしと景観が、日本遺産に選定されています。

 
 

惟喬親王伝承

これたかしんのう

 山上町の歳苗神社には親王の創建、杠葉尾町の春日神社には親王参詣伝承があります。また、政所町の八幡神社には惟高親王像が祀られた社があり、親王塚と呼ぶ塚も存在しています。
 これよりも西方の上岸本町の集落センター前には、親王が不思議な翁と出会った話に登場する「翁石」があります。また、ここから北西約800m愛知井橋のたもとには、「蹄石」があります。これは、親王が乗っておられた馬の蹄の跡が残っているのだと伝わっています。
 以上の地域は、かつて小椋荘といわれていた荘園のあったところです。惟高親王伝承と小椋荘には、深い関係がありそうです。

 
 

木地師発祥の地

 東近江市の東部小椋谷で隠棲された惟高親王は、ある日、転がり広がるお経の巻物と、池の水面で回転するドングリの帽子をみて、ろくろを回して椀を作ることを思いつかれたといいます。早速親王は、このことを村人に伝え、木地作りが始まったのです。
 しかし、長年にわたり木地を作り続けた結果、周辺の木材を使いきってしまう状況となったのです。そこで、小椋谷の木地師たちは用材を求めて全国各地へと拡散していきました。これが木地師発祥の地伝承です。
 その地を自負する蛭谷町や君ヶ畑町には、この種の看板が目につきます。また、現在でも木地師の流れをくむ木工職人の方々の、発祥の地来訪が後を絶ちません。

 
 

蛭谷町

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 江戸時代、蛭谷町の筒井神社は、木地師発祥の地伝承を根拠に、全国の木地師を当社の氏子とし、神社関係費用の集金に回りました。これが「氏子駆」であり、これを記録した史料が県指定文化財『氏子駆帳』です。
 木地師側のメリットとしては、用材を求めて移動する場合の通行手形を得たり、用材伐採の権利を保障する書付などを手に入れられたりすることでした。この作業を担ったのは、筒井八幡宮と帰雲庵です。あわせて筒井公文所と呼ばれていました。
 蛭谷町の筒井神社境内には、関係資料を保管・展示する木地師資料館があります。

 
 

君ヶ畑町

 君ヶ畑町にも、蛭谷町とよく似た全国の木地師のもとを訪れ、神社運営資金を集金する活動がありました。君ヶ畑町の場合は、「氏子狩」といい、その記録は『氏子狩帳』として県指定文化財となっています。
 この活動を取り仕切ったのは、高松御所とよばれる大皇大明神と金龍寺です。始まったのは、蛭谷町に遅れること約50年です。蛭谷・君ヶ畑とも、氏子駈・氏子狩は明治期まで続けられましたが、戸籍法の公布・森林の官有地化などから、明治20年代をもって行われなくなりました。
 君ヶ畑町には、今も「惟高親王御陵」と伝わる地があり、地元のみなさんが大切に守られています。

 
 

政所町

政所町

 政所町八幡神社には、国指定重要文化財の能衣装が伝わっています。唐織といわれる豪華な生地でできており、桃山時代のものです。さらに、能面16点は市指定文化財です。政所町以外にも周辺の集落の多くに能面が伝来しており、神事に使用されていたものと考えられています。どうしてこの付近に能面が多いのか、明らかではありませんが、木地師発祥の地と関連するとの考えもあります。
 政所といえば、忘れてはならないものがあります。「政所茶」です。その起源は、永源寺第5世越渓秀格によると伝えられていますが、定かではありません。ただ、江戸時代初期は相当量の生産があり、中期には全国的にも有名な産地であったことに、間違いはありません。
 平成14年滋賀県指定自然記念物に指定された茶木は、樹齢300年の古木です。

 
 

鉱山開発

 東近江市山間部の特徴の一つに、かつて鉱山のあった歴史があります。君ヶ畑町・政所町・甲津畑町に鉱山があったことが、史料に出てきます。開山は中世にさかのぼる可能性もありますが、確実なのは江戸から明治にかけての時期です。銀や銅を産出していましたが、滋賀県内で鉱山の記録が残るのは、ほかには石部銅山があるだけです。
 佐目町に、鉱山経営を彷彿とさせる伝承があります。左目だけの童子が、口から火を噴き温めた石で悪さをする牛を退治した話です。口から火という表現は、精錬中の鞴の羽口を連想させます。佐目町の若宮八幡神社には、各地の鉱山で祀られる金山姫命(かなやまひめのみこと)を祭神とする、境内社「塔尾金社(とうおかねしゃ)」があります。

 
 

雨乞銀座

 東近江市の歴史は、水不足に苦しめられた歴史であり、それは雨乞の歴史でもあります。水源となる鈴鹿山脈内には、数多くの雨乞対象地が遺り、「雨乞銀座」の異名もあるほどです。鈴鹿10座となっている雨乞岳をはじめ、その数は優に100ヶ所を超えます。
 その中にあって、萱尾町の大滝神社は川下の多くの集落から雨乞を期待されていたようです。今は永源寺ダムに沈んでしまった「萱尾の大滝」を御神体とし、天湯川桁命をご祭神としています。今は、国道421号線永源寺ダム側に小さな祠としてお祀りされています。

 

日本遺産『永源寺と奥永源寺の山村景観』

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 滋賀県には、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」をストーリーとする日本遺産があります。その構成文化財として、東近江市からは三つが選定されています。
 一つ目は「伊庭の水辺景観」、二つ目は「五個荘金堂重要伝統的建造物群保存地区」、そして三つ目が、「永源寺と奥永源寺の山村景観」です。本HPで『惟高親王伝承と山の文化』として取り上げた各項目を育んだ地域が、三つ目の日本遺産となっているのです。

 
 
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