延暦2年(783)の創建と伝わる日吉社系の古社。かつては野々子荘13ヵ村の総社とされ、5つの別当坊があったと伝える。社宝に鎌倉期の狛犬一対、室町期の懸仏があり、ともに市の市指定文化となっている。
高さ約4.5メートルの重厚な石造九重塔は、鎌倉時代永仁3年(1295)の建立で重要文化財。塔身の銘文に「興隆寺」と刻まれているが、涌泉寺との関係とともに、もとからこの地に造立されたのか、ここに移設されたのかは不明。
高木神社本殿と境内社日吉神社本殿は、ともに室町時代後期の建築で重要文化財。毎年4月の大祭は、ケンケト祭として有名で「カンカ」と呼ばれる子どもの囃子と長刀振りが奉納される。(国選択無形民俗文化財)
インド共和国政府の特別許可により白檀原木23トンが我が国に初めて正式輸入され、一丈六尺(光背を含めた像高7m)の総白檀千手観音座像が開眼されました。本堂内はサンダルウッド(白檀)のよい香りに心が癒されます。
雪野山歴史公園は、東近江市・近江八幡市・竜王町にまたがり、山頂には4世紀中頃の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)があります。平成元年には、全国でも珍しい未盗掘(みとうくつ)の状態で発見されました。
現在古墳は埋め戻されていますが、山頂まではハイキングコースが整備されています。周辺には多くの古墳(こふん)があり、そのうちの八幡社古墳群(はちまんしゃこふんぐん)を活用して山麓(さんろく)に歴史公園が整備
本願寺三世覚如上人の高弟で、那須与一の孫、愚咄を開祖とし、正応3年(1290)に創建。五個荘金堂重要伝統的建造物群保存地区の中心的な存在で、現在の本堂は宝暦5年(1753)再建されたもので重要文化財。
推古天皇二十七年開創と伝えられる古刹、天台宗より改宗し現在は曹洞宗寺院。本尊聖世音菩薩は身代わり観音として地域の信仰を集め、また観音様のお堂ではご祈祷や悩み事相談が随時行われる。
“おか”を乎加と書く神社は全国で二つだけで、名前の由来は、和田山なる岡に祀られたからとも、ご祭神が豊遠迦比賣命であるからともいわれる。約3300坪の境内は樹々に囲まれた社殿は国の登録文化財。
聖徳太子が近江に建てた48寺院の第1番目。
本尊は千手十一面観音。当寺と末寺閣魔堂(えんまどう=現十応寺=じゅうおうじ)は八王子法橋(はちおうじほうきょう)五人衆・十六人衆によって維持運営されました。
天正4年(1576)織田信長により焼打ちされたと言われています(神崎郡志稿)。
浄土宗の中本山格の寺で、白鹿背山巨徳院東光寺という。寺伝によると、聖徳太子が薬師如来を安置するために本堂を建立し、恵心僧都源信が入寺して以降、天台宗となる。永禄年間の兵火で荒廃していた寺を、深誉円知上人によって再興され、浄土宗となる。三度の火災に遭い、明治26(1893)年に、営誉経海上人によって再建され、現在まで至っている。