生産農家×釈迦山百済寺×喜多酒造 滋賀県東近江市百済寺町で幻の銘酒『百済寺樽』が444年ぶりに復活!〜酒づくりオーナー募集開始〜

投稿日:2017.04.13

愛東地区地域おこし協力隊、比嘉彩夏(所在地:滋賀県東近江市百済寺町460)は、織田信長の焼き討ちにより途絶えた幻の銘酒「百済寺樽」を地域との協働のもと、444年ぶりに復活する「酒づくりオーナー」の募集を開始いたします。

百済寺樽FBtop

 

■信長の焼き討ちにより途絶えた「百済寺樽」とは

紅葉の名所として知られる「釈迦山百済寺」はかつて「東洋一の寺院」「地上の天国」と称された知る人ぞ知る名刹です。室町時代に隆盛を極める礎となったのが幻の銘酒「百済寺樽」で、清酒の起源「僧坊酒」発祥の一つとなりました。当時、清酒を醸造していた百済寺は、経済力・労働力・情報力・技術力・政治力の全てを兼ね備え、今でいうバイオテクノロジーが集結する近江の一大文化拠点でした。鈴鹿山系から湧き出る清水、香り高い近江米、そして中枢部の三百坊に加え総計一千坊、一千三百余人を要する大寺院だからこそ生まれた「百済寺樽」は幕府や朝廷にも献上、愛飲されていました。

 

“近江を制するもの、天下を制す”と戦国の覇者、織田信長は侵攻をはじめ、生涯で唯一の勅願寺と定めたのが百済寺でした。しかし、百済寺は敵対勢力である守護大名の六角氏との縁が深く、血筋にあたる男子を山内の重要職に迎え入れて密な関係を保ってきた経緯もあり、寺院内の勢力を二分することになったと考えられています。そして、天正元年(1573)、僧たちが六角氏の妻子を山内にかくまい兵糧を運んで支援していたことが信長の知るところとなり、激怒した信長の手によって寺の全域が焼き討ちされ、人々に愛された「百済寺樽」の歴史にも幕が閉じたのです。

 

■「酒づくりオーナー」概要

信長の焼き討ちから今年で444年。酒米生産農家、百済寺、喜多酒造の全面的な協力のもと、幻の銘酒「百済寺樽」の復活プロジェクトに取り組みます。

プロジェクト実施にあたり、「百済寺樽」にロマンを感じる方、酒米づくりを体験してみたい方、農村の豊かさを肌で感じたい方、など私たちと一緒に百済寺樽を復活していただける限定50名の“酒づくりオーナー”の募集をいたします。

イベント内容や応募要項など、詳しくは下記HPを確認ください。

https://hyakusaijitr.thebase.in/about

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