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太郎坊宮(阿賀神社) (たろうぼう・あがじんじゃ)
〒527-0091 滋賀県東近江市小脇町2247 【Google マップ】
TEL 0748-23-1341 FAX 0748-25-0787
http://www.ex.biwa.ne.jp/~tarobo/ |
近江鉄道太郎坊宮前駅から北へ約1.1km、標高350mの巨岩が露出した赤神山の中腹にある通称『 太郎坊宮』は、『太郎坊さん』の名で親しまれています。
『太郎坊』とは京都鞍馬の次郎坊天狗の兄天狗でこの社を守護していると言われています。厄除け・開運・商売繁盛にもご利益があるとされ、初詣をはじめ年間を通じて多くの参拝者が訪れます。その昔には、聖徳太子や最澄も参拝したと言われ、また神秘的な霊山として修験者の修行の場になっていました。
参道から約740段の階段を登ると本殿にたどり着きます。本殿の周りには巨岩が散存し、特に夫婦岩は圧巻です。
本殿前から眼下に広がる蒲生野がすばらしい眺めを見せています。 |
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市神神社
〒527-0012 滋賀県東近江市八日市本町15-4 【Google マップ】
TEL 0748-22-0819 |
ゑびす大神が御祭神であるところから近江七福神のお宮さんのひとつに選ばれ、「市宮ゑびす」の名で遠方からも参拝にこられます。聖徳太子が自ら神像を刻み、商いの道を教えたとされ、その神像が御神体の恵比須神の胎内に安置されていると伝えられています。
境内には、金刀比羅神社、鎮宅霊符神社も祀られ、また、聖徳太子銅像、大黒天(大国主命)銅像、犬養孝先生の書による額田王の相聞歌を刻んだ歌碑なども建てられています。 |
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御沢神社
〒527-0086 滋賀県東近江市上平木町1319-1 【Google マップ】
TEL 0748-23-4640 |
御沢神社は、推古天皇の時代に聖徳太子が蘇我馬子に命じてこの一帯を開墾された折りに、田用水の溜め池として清水池・白水池・泥水池をつくり、神社を創建したのが始まりといわれています。とくに泥水池にはいかなるときも枯れることなく水田を潤してきたと伝えられています。
現在も近江の名水として知られています。 |
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河桁御河辺神社 (かわけたみかべじんじゃ)
〒527-0043 滋賀県東近江市神田町379 【Google マップ】
TEL 0748-22-2241 |
| 創記は宣化天皇4年(539年)とされ、社殿は兵火により焼失しますが、今の規模になったのが慶長15年(1620年)とされています。本殿横に国指定重要文化財の六角石灯篭があり、鎌倉時代の灯籠で、高さが約230センチの花崗岩製。基礎の単弁反花 はのびやかで、側面には三茎蓮・獅子・孔雀が彫られ、火袋は六角形で三面に丸窓をあけ、別の一面には延慶4(1311)年の銘文が刻まれるなど、奈良の春日大社のものと並ぶ独創的な意匠の石灯籠です。 |

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永源寺本山
〒527-0212 滋賀県東近江市永源寺高野町41 【Google マップ】
TEL 0748-27-0016 |
末寺百余ヵ寺を統率する臨済宗永源寺派の大本山。南北朝時代の康安元年(1361)、近江の守護職佐々木六角氏頼が寂室元光禅師をこの地に迎え、七堂伽藍を造立した。これが開基とされています。
元光の高風を慕って2,000余人もの僧が参集し、元光の没後も弥天永釈・松嶺道秀・霊仲禅英・越谿秀格などの徳僧が輩出して法灯を継ぎ、寺運は隆盛。応永のころ(1394〜1428)には、京洛の戦火を避けて、五山文学史に名を残す横川景三をはじめ、瑞仙桃源・景徐周鱗といった著名な学僧・詩僧が相ついで永源寺に留錫し、学芸の衰えた京都の漢文学や詩文の伝統は、一時この湖東の山間で保たれるという時期もありました。
その後、明応元年(1492)、永禄7年(1564)、元亀2年(1571)の3度の失火や兵火に焼け落ちて衰えたが、江戸時代はじめの寛永8年(1631)別峰紹印が入山して再興。寛永20年には、後水尾天皇の勅命によって一絲文守禅師が住持となり、彦根藩主井伊氏の外護もあって諸堂が造立され、寺観が整えられました。
寺域は愛知川の右岸に迫る山腹に位置し、カエデに囲まれた崖沿いの約120段の石段を、十六羅漢石像を見ながらたどると総門、ついで享和2年(1802)建立の5間3戸の楼門(山門)が現れます。楼門(山門)の奥には、明和2年(1765)建築の、屋根ヨシ葺きの大きな方丈(本堂)、安永元年(1772)に建てられた鐘楼、享保13年(1728)造営の法堂、延宝4年(1676)建立の経堂、正保4年(1647)造立の含空院(歴代住持の居所)、享保9年(1724)再建の開山堂などがいらかを連ね、その間をカエデの老樹がうずめています。
本堂前のよく掃き清められた庭がすがすがしく含空院の庭園も、池泉と木石の調和が見事な名園として知られています。秋は全山紅葉に包まれ愛知川の流れを朱に染めるのです。
本尊の聖観音像は秘仏で、俗に“世継ぎ観音”とも呼ばれています。これは、佐々木六角氏頼が、この像に祈願して長男を授かったという伝説によるもので、今も子授けの観音様として信仰を集めています。
関西紅葉の3名所の1つとして有名なこの寺にはシーズン中は多くの参詣者があるが、近年では四季を問わず学校や企業、団体の研修道場として自己を見つめ直す場として活用される事も多くなった。
また、永源寺の開祖、寂室元光禅師の誕生日(5月15日)を祝して5月中旬に、寂室禅師奉賛大茶会が開催され、関西の各宗家が一同に集まり盛大に行われます。静けさを満喫するのに最も良いといわれるこの頃は、木々が新緑に輝いて美しく、当日は和服姿の女性たちが艶やかな花を添えてくれます。 |
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金龍寺
〒527-0202 滋賀県東近江市君ヶ畑町809 【Google マップ】
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
貞観元年(859)、この地に隠棲された惟喬親王が、出家して素覚と称し、一宇を造立して仮御所とされ、これが開基とされています。のち曹洞禅刹(ソウドウゼンサツ)として再興されたらしく、一名「高松御所」とも呼ばれています。
堂宇は山門・本堂・庫裏などを備え、本堂に惟喬親王の木像を奉安されています。
ここには、元禄7年(1694)から明治23年(1890)までの氏子狩帳53冊が所蔵され、また境内に隣接して「日本国中木地屋氏神惟喬親王御廟所(ニホンコクジュウキジヤウジガミコレタカシンノウゴビョウショ)」という石標のたつ南北朝時代の宝篋印石塔(ホウキョインイシトウ)があり、親王の墓所と伝えられています。同じく境内には万年筆会社が建立した「ろくろと万年筆」と書かれた碑があります。 |
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大皇器地祖神社 (おおきみきじそじんじゃ)
〒527-0202 滋賀県東近江市君ヶ畑町977 【Google マップ】
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
大皇器地祖神社のある君ヶ畑は、惟喬親王が小椋谷に幽棲されたときは「小松村畑」と呼ばれていましたが、親王入山後「君ヶ畑」と改められました。
親王は御殿を造営され、これを高松宮及び高松御所と呼ばれました。その後、親王が亡くなられ、そのことを天皇に奉聞されると寛平10年に神殿を造営され、親王の神霊を祀られました。
このときは「大皇大明神」の社号でありましたが、明治になり現在の大皇器地祖神社に改められました。現在でも、ろくろ業の祖神として金竜寺(高松御所)や筒井神社とともに多くの人が訪れます。 |
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筒井神社
〒527-0201 滋賀県東近江市蛭谷町176
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
平安時代前期の貞観7年(865)、この地に隠棲していた惟喬親王(これたかしんおう)が宇佐八幡神を勧請、奉祀したのが起こりと伝えられ、現在の場所よりもさらに山深い筒井峠付近に建立されました。しかし、山中の木地師たちが次第に全国へ出ていき、祭事などが不便となったため明治のはじめに現在の所へ移築されました。
この筒井神社は、かつて筒井公文所という名のもとで、全国各地の木地師たちを支配し、いわゆる木札の印鑑や往来手形などを発行して木地師の身分を保証していました。
また、神社のすぐ近くには、惟喬親王や木地師の元祖ともいわれる小椋実秀(おぐらさねひで)卿を祀り、かつては全国の木地師の本所とされていた帰雲庵があります。
全国の木地師とその子孫達は今日もなお、惟喬親王をろくろの祖神として尊崇し、この筒井神社とともに君ヶ畑の高松御所(金竜寺)、大皇器地祖神社に訪れる人が多くあります。 |

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百済寺 (ひゃくさいじ)
〒527-0144 滋賀県東近江市百済寺町323 【Google マップ】
TEL 0749-46-1036
http://www.hyakusaiji.or.jp/ |
重厚な石垣に覆われた『山城』の趣が漂う天台宗の寺院です。
近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建されました。
龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた十一面観世音菩薩と伝わります。
開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われています。その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが室町・戦国時代には度重なる兵火、とくに元亀4年(1573年)4月11日に信長の焼き討ちを受け、ルイス・フロイスは『地上の天国:Facusangi(ファクサンジ※)一千坊』の焼失を惜しんでいます。
※百済寺のこと
江戸次代初期には、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・総門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。 |
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引接寺 (いんじょうじ)
〒527-0142 滋賀県東近江市上山町312 【Google マップ】
TEL 0749-46-1285 |
| 引接寺は百済寺の末寺にあたる天台宗の寺院である。毎年8月22日に行われる万燈供養は、百済寺から集められた石仏、約6000体に灯りをつけて供養する行事で、夏の風物詩として有名。 |
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押立神社
〒527-0138 滋賀県東近江市北菩提寺町356 【Google マップ】
TEL 0749-45-2094 |
田園の中にある押立郷(おしたてごう)の総氏神(そううじがみ)で、「大宮さん」の名で親しまれています。
開基は奈良時代後期といわれ、火産霊神(ほうぶすながみ)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っています。木々がうっそうと茂る静かな境内には、南北朝時代に建立された大門と本殿が落ち着いた構えを見せ、どちらも国指定の重要文化財になっています。
一般的には、本殿は拝殿より高い位置にあるとされていますが、この押立神社は、本殿と拝殿が同じ高さにあることが珍しいものです。
60年に一度行われる大祭のドケ祭は、鬼の面を被り、太鼓を持った踊り手が囃しに合わせて踊り狂う奇祭です。
祭神である2神を祭ったお渡りの儀式がそのまま残ったもので、ドケという名前は、道化がなまったものといわれています。
最近では、昭和46年に行われ、次回祭が行われるのは平成43年です。
また、祭りで使われる装束などが境内右手にある宝物殿に展示され、見ることができます。 |
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豊国神社
〒527-0113 滋賀県東近江市池庄町1518 【Google マップ】
TEL 0749-45-2688 |
応神天皇と神巧皇后を祀る豊国神社。
「厄除八幡さん」と呼ばれて信仰を集めています。人々の心の拠り所となり、そこで大切に受け継がれた貴重な文化財は人々の心の宝となっています。
毎年1月18日から20日に行われる厄除大祭は、多くの参拝客でにぎわいます。この厄除大祭が、「厄除八幡さん」と呼ばれる由縁となっています。 |
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善明寺 (ぜんみょうじ)
〒527-0135 滋賀県東近江市横溝町1659 【Google マップ】 |
| 臨済宗永源寺派の寺で、開基は明らかではありません。境内には藤原期の作と伝える阿弥陀如来坐像大小2躯が安置されていますが、ともに国の重要文化財です。 |
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石馬寺
〒529-1401 滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823 【Google マップ】
TEL 0748-48-4823
http://www.eonet.ne.jp/~ishibaji/ |
繖山の山中にある石馬寺は、聖徳太子がこの山麓に馬をつなぎ、山上に霊地を探して下山すると馬が石と化して池に沈んだ(現在の石段登り口に沈む駿馬化石)というところから寺号が付けられました。
ここには、十一面観音立像や役行者腰掛像など、平安・鎌倉時代に作られた数多くの重要文化財が所蔵されています。緑に囲まれた寺内には静かな空気が流れ、訪れる人々に千年の歴史を感じさせてくれます。 |
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弘誓寺 (ぐぜいじ)
〒529-1405 滋賀県東近江市五個荘金堂町615 【Google マップ】
TEL 0748-48-2747 |
弘誓寺は、開基を愚咄とし、西応5年(1292年)に関東の親鸞旧跡巡拝から帰京途中本願寺覚如により弘誓寺の寺号を許されたという。この愚咄は、那須与一の子孫が帰依したもので、現在の本堂は、宝歴5年(1753年)再建を願いでて、19世紀初頭に完成した。
(本堂は国重要文化財) |
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北向岩屋十一面観音
〒521-1223 滋賀県東近江市猪子町
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
JR能登川駅南方の繖山(きぬがさやま 標高267m)山頂にある厳窟内の石造りの観音(像高55cm、光背30cm、蓮座高6cm)が北向観音と呼ばれています。
この観音は奈良時代に安置されたと伝わっており、合掌の手に数珠をかけておられる石仏は、あまり見かけないといわれています。
由緒によると安政の頃より千日会が執行されていたといわれていますが、近年になり近在の篤信者により奉賛会が生まれ、郷土の繁栄と火災害防除とともに、日常各職場に従事する人の作業安全・交通安全ならびに次代を担う子供たちの就学を祈願し、毎年7月17日に千日会法要が盛大に勤行されます。この日はもちろんのこと毎月17日は、近在および京阪、岐阜方面より多数の信者の参詣があります。 |
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善勝寺 (ぜんしょうじ)
〒521-1222 滋賀県東近江市佐野町909 【Google マップ】
TEL 0748-42-5121 |
曹洞宗の善勝寺は十一面観音を本尊とし、近江三十三所観音霊場二十番礼所です。伝えられるところでは、聖徳太子草創の霊場で、その叔父良正を開基とし、創建当初は釈善寺と号する天台寺院でした。
坂上田村麻呂の東征勝利にちなんで善勝寺に改められ、織田信長による兵火で焼かれてから後に改宗したとされ、もとは堂舎が建ち並ぶ大伽藍七十余坊を擁していたといわれています。
「鬼にさえよく勝つ寺ときくからになほたのまるる人ののちのよ」 |
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安楽寺
〒521-1231 滋賀県東近江市能登川町986 【Google マップ】
TEL 0748-42-3506 |
| 繖山の一部、伊庭山(いば)の中腹にある天台宗寺院。繖山無量寿院(むりょうじゅいん)と号し、聖徳太子が近江に建てた48寺院の第1番目という(與地志略)。本尊は千手十一面観音。当寺と末寺閣魔堂(えんまどう=現十応寺=じゅうおうじ)は八王子法橋(はちおうじほうきょう)五人衆・十六人衆によって維持運営された。八王子法橋伝釆文書によれば、諸事評定は東座・西座の両座で行い、本堂造営のため両座から4人の僧が中国へ渡海したが、帰朝の際難破したという(年欠伊庭安楽寺先規置文案)。貞和5年(1392)11月に衆徒方と行人方が礼法と田畠下作職のことで争い、伊庭氏の仲介があったことを示す史料のほかは、寄進状や売券が多く、永和2年(1376)12月、宝徳4年(1452)1月、応仁元年(1467)11月など37点ほどを数える。同じ天台宗の佐野の善勝寺と往釆があり、しかも猪子の上山天神と結びつき、神仏習合の有様を知りうる。天正4年(1576)織田信長により焼打ちされたという(神崎郡志稿)。江戸中期に再興するが、嘉永6年(1853)に火災があり、記録頬の一部を失った。 |
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須田不動の滝
〒521-1232 滋賀県東近江市北須田町
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
能登川地区北須田町入口の須田川に沿って山を登っていくと不動尊に出会います。糸を引くような白い細い滝が流れ落ちています。滝の上には参籠所があり、行場になっています。ここに不動尊が勧請されたのはそう古いことではなく、碑には次のような由来が記されています。
明治維新の頃に大きな災害のあった年があり、困窮した農民を救うため地獄越道を大修理しました。この事業を記念して、金兵衛という人が沖の島にあった大聖大動尊を繖山のこの谷に勧請した、というものです。その後、安置場所を替えたことがありましたが、霊感があり、有志が協議した結果、元の場所に戻したとも記されています。それは昭和初期のことでした。
毎年1月には初不動大護摩供養大祭が、7月にはお滝開き大護摩供養大祭が行われ交通安全、家内安全、また平安隆昌が祈願されます。 |
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超光寺 (ちょうこうじ)
〒521-1233 滋賀県東近江市南須田町343 【Google マップ】
TEL 0748-42-1577 |
北須田町と南須田町の境目、かつては郡境でもあったところに「従是南そう見寺領」と刻まれた小さな石碑が建っている。そう見寺領内の役寺であった超光寺の山門は、度重なる火災を免れた
そう見寺の台所門を譲り受け移築したもので、反り増しのある乗木などが、室町末期の時代性を物語っている。 |
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乎加神社 (おかじんじゃ)
〒521-1213 滋賀県東近江市神郷町9
TEL 0748-42-1331(能登川支所 産業建設課) |
“おか”を乎加と書く神社は全国で二つだけで、名前の由来は、和田山なる岡に祀られたからとも、ご祭神が豊遠迦比賣命であるからともいわれ、乎加は当て字だろうといわれている。
約3300坪といわれる境内は樹々に囲まれ、東郷平八郎が参拝記念に書いた自筆の社名石もある。(国登録文化財) |
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仁王堂大浜神社 (におうどうおおはまじんじゃ)
〒521-1235 滋賀県東近江市伊庭町1890
TEL 0748-42-1331(能登川支所 産業建設課) |
| 鎌倉時代前期の五間仏堂を改築した神社。(県指定文化財)五間×五間で茅葺きの入母屋造りで、使われている建築部材の中には中世にさかのぼるものがあるという。 |
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法堂寺遺跡公園
〒521-1222 滋賀県東近江市佐野町522 【Google マップ】 |
法堂寺廃寺跡は、今から1,300年前の白鳳時代にこの地域を治めた豪族によって建てられたお寺跡です。創建当時は、瓦ぶきの本堂(金堂)や五重塔などを備えた、大変立派なお寺でした。
その後、歴史の流れとともにこのお寺もなくなり、お堂の多くは田んぼの下に埋もれてしまいましたが、塔の中心の礎石だけは大きな姿をのぞかせていました。
このお寺跡は平成10年6月に県の史跡として指定されました。平成11年3月に法堂寺遺跡公園として整備され、多くのみなさんに利用されています。 |

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石塔寺
〒529-1501 滋賀県東近江市石塔町860 【Google マップ】
TEL 0748-55-0213 |
近江鉄道桜川駅の北東約2.2km、前方に布引山(ぬのびきやま)(261.9m)が横たわっている天台宗寺院。阿育王山(あしょかおうざん)という山号で、開基は聖徳太子によると伝えられています。山門の入口に「阿育王山」の額が掛かっており、赤松林の中の石段を登ると特異な形態をした三重石塔がそびえ立ちます。そして広場一帯を、何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくしています。三重石塔は、奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大のもので国指定の重要文化財です。屋根は緩く膨れており、塔身は縦長、一番下の塔身は二枚石を合わせ、上部の安定をはかっています。三重塔東側の五輪塔2基とその横にある宝塔も、国指定の重要文化財です。
寺伝によると、釈迦入減(にゅうめつ)後100年、阿育大王(あしょかだいおう)がインドを治めたとき仏法の興隆を願って8万4千の塔婆(とうば)を造り、それに仏舎利(ぶっしゃり)を納めて三千世界に撒布しました。平安時代、唐に留学した寂照(じゃくしょう)が近江国にもその1つが埋まっているとと聞き、日本へ向けた手紙を紙を木箱に納めて海中に投じました。3年後にこの箱が明石浦に漂着し、掘り当てた塔がこの阿育王塔であるといわれています。鐘堂前には「かれ野山父はは恋し 石の塔」という句碑があり、大小さまざまな石塔や石仏の表情に昔からの信者の願いが偲ばれます。
〈重文〉三重塔 宝塔 五輪塔(2基) |
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願成寺 (がんじょうじ)
〒529-1571 滋賀県東近江市川合町950 【Google マップ】
TEL 0748-55-0155 |
近江鉄道桜川駅の北西約1.6km、名神高速道路のガード下を通りぬけたところにある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院。寺伝によれば、聖徳太子によって開かれたといわれています。
織田信長(1534-82)が比叡山を攻めたときに滅亡したといわれていますが、本尊だけは村人によって裏山深く隠され、その難を逃れました。本尊の聖観世音菩薩立像は、聖徳太子の母の姿を映したものと伝えられており、33年に1度開扉されます。ほかに、昔この寺にいた美しい尼僧を慕い、姿を変えて毎日通った人魚のミイラと伝えられているものが、観音堂に保存されています。また、本堂には中世の石造遺品が数多く残っています。 |
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梵釈寺 (ぼんしゃくじ)
〒529-1521 滋賀県東近江市蒲生岡本町185 【Google マップ】
TEL 0748-55-2701 |
| 創建は桓武天皇の勅命によると伝わります。その後焼失しましたたが江戸時代に再興されました。寺宝の観世音菩薩坐像、境内の石造宝篋印塔などが見どころです。 |
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高木神社
〒529-1521 滋賀県東近江市蒲生岡本町709 【Google マップ】
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
| 天智天皇の第二皇子梵天王は、お付きの者2、3人を連れて岡本へ移住し高岡宮を建て、この地で暮らしていたが、28歳の若さで亡くなり、残りの付き人に麻生庄が譲られた。高木神社は、神亀元年(724年)に創建され、高皇産霊神・大己貴命が祀られている。本殿と日吉社本殿、それに石燈籠が国の指定重要文化財となっている。また、本殿で行われるケンケト祭は、養老7年(773年)4月の聖武天皇御幸のときに、日野川洪水で橋が流されたため、橋に代わるものとして帯を持ちより、木太刀に結びつけたものを7本用意して仮橋を造り渡したのが起源とされており、国の無形民俗文化財に指定されている。行基が麻生庄に来て一院を建て高木神社の守護寺としたが、兵火で焼かれたため、今から約400年前に、現在の位置に再建された。 |
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山部神社(赤人寺) (やまべじんじゃ・しゃくにんじ)
〒529-1524 滋賀県東近江市下麻生町214 【Google マップ】
TEL 0748-48-2100(東近江市観光協会) |
| 下麻生は、自然をこよなく愛した万葉の歌人、山部赤人が生涯を閉じた地であるといわれ、赤人寺の本尊は、赤人がかつての旅先であった、田子の浦からお迎えして安置したものだという。天台宗養老赤人寺は、蒲生巡礼十九番目の礼所で、鎌倉時代に建てられた七重の塔は、国の重要文化財になっている。寺と神社は同じ方向に建てられてあり、権現づくりといわれるものである。境内にある「赤人桜」は、別名「冠かけの桜」と呼ばれ、赤人が桜の枝に冠をかけたところ、はずれなくなり、赤人はそのままこの地に永住したと伝えられる。境内には中央に60cmばかりの石碑があり、これは江戸末期の歌人である渡忠秋が赤人の歌を刻んだものである。 |
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竹田神社
〒529-1522 滋賀県東近江市鋳物師町 |
祭神として天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天目一個命(あめひとつのみこと)、大己貴命(おおなむらのみこと)、大屋彦命(おおやひこのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)の5神を祀っています。社伝によると、崇神(すじん)天皇の頃に明神(みょうじん)の森というところに菅田神社として創祀され、平安時代に現在の地に移されました。その時、神社の名前も地名にちなみ現在の竹田神社に改められたといいます。また、国の重要文化財に指定されている木造男神坐像は、蒲生稲寸三磨呂(がもういなすみまろ)の像といわれるものです。
現在の地名の鋳物師は、この辺り鋳物をつくる工人達の住居地であったからと考えられています。 |
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